東海道五十三次を歩いたお話~肆~
2018年5月東京・日本橋から京都・三条大橋まで11日間の歩き旅の全容を紹介します。
沼津ー江尻(46.1㎞)
昨日念願の箱根越えが敢行できて、
東海道五十三次の楽しみをまたひとつ堪能しました。
本日は東海道五十三次全体ののランドマーク
ともいえる富士山を拝むべく進んでいきます。
沼津宿ー原宿(5.9㎞)
7:06 沼津宿発
なんとも清々しい朝です。
今日はからっと晴れました。
これなら、富士山がきれいに見えるかも!!
まずは、沼津宿の本陣を2つを通り過ぎ、
(上 高田本陣跡 下 間宮本陣跡)
これから歩いていくのですが、
これまでにないひたすらに一本道を歩いていきます。
163号線をホントにまっすぐです。笑
しばらく歩いていくと、、
見えてきましたね!富士山!!
この一本道ずっーと右手に絶景富士山をみながら歩き続けます。
9:03 原宿着
原宿ー吉原宿(11.8㎞)
意外にも富士が描かれているのは7枚だけです。
川崎(3)、平塚(8)、箱根(11)、原(14)、吉原(15)、由比宿(17)、舞原(31)(江戸日本橋からの数え)
その中でも、今から目指す原宿というのは
7枚の中でもひときわ異彩を放ちます。
他の6枚は遠景の富士を描いているのに対して、
原宿は富士を大きく描いており特徴的です。
確かに距離的にも富士山がきれいに見えるところだなとは筆者も感じました。
吉原に行くにもそのまま沼津-原間と同じように
東海道本線沿いを歩いていきます。
自分の中で、この写真はこの旅のお気に入り写真の一つですね。
増田平四郎碑の近くの橋から撮った写真。
天気も良くて、映えますね!!
さらに進んでいきます。
ちなみに吉原宿は
JR吉原駅からはすこし北上していきます。
これは、平家越の碑です。
源平の戦いでの「富士川の合戦」の地です。
夜中大量の水鳥の羽音に驚いた平家が戦わずして逃げ帰ったことで有名ですよね。
そこを抜けると15-20分すると
11:09 吉原宿着
吉原宿ー蒲原宿(11.2㎞)
原、吉原、蒲原、由比あたりは
歩いていても富士山の表情の違いで楽しめます。
遠近ももちろんですし、面のカタチも変化していくので
疲れたとき見ると癒されます。
吉原宿から2時間弱歩くと、
富士川着きました!!
ここも富士山ビューポイントですね!!
いやー、言葉下手の筆者には表すことのできない画です。
とっても美しいですね(語彙力)
絶景を後にして、
ここからはすこし坂も増えていきます。
東名高速道路の上を通ったりもしました。
ここまでくると、今まで工業地帯っぽかったりしていましたが
少し落ち着いた雰囲気になってきます。
13:55 蒲原宿着
蒲原宿ー由比宿(3.9㎞)
蒲原から由比までは4㎞程度と比較的短い距離でした。
そのこともあり、道中あまり特筆するスポットはなかったように思えます。
14:53 由比宿着
しかし由比宿に着くと
綺麗に整備された由比本陣公園や東海道広重美術館など
見どころのあるスポットがあります。
宿場周りも風情のあるようでした。
由比宿ー興津宿(9.1㎞)
由比宿を出発し、
JR由比駅を越えたあたりから
宿場町風情がある通りに着きます。
上の名主の館小池邸をはじめ、あかりの博物館など建物があります。
その後海沿いを歩いていきます。
薩埵(さった)峠へと進んでいきます。
ここにきての峠越えかあ、、
ファイトだ自分!
峠の入り口です。
うわあ、坂や泣(そりゃそうだ)
上っていきます。
このアングルは
じゃないか!(無知をさらした笑)
おんなじ景色を見ていると思うと
なんだかいいですよね。満足です。
よし、下るかと思ったら、
意外とそこからも下りつつ上りつつ
てな感じで、、
のぼっていくぅ!
まあそんな調子が続くわけもなく、
結構グロッキー状態になってきました。
ながい、、
今までより距離的に若干長いものだったですが、
そのちょっとが大変なんですよね。
薩埵峠から1時間
どうにか興津宿に着きました。
17:10 興津宿着
興津宿ー江尻宿(4.1㎞)
あと1宿です。頑張れ自分。
けれどひとりで歩いていると、
なにか言い訳したくなるものですね。
膝が痛いような気がする。
体調がよくない気がする。
疲れがここにきてドッと出できた気がする。
あと4㎞ちょっとなのに。
弱さが出てきますよね。
ただ、ほんとに巡りあわせって面白いですよね。
このツラいときに、
見覚えのある後姿が見えました。再々再登場の東海道ウォーカーさんでした。
うわー、よかったー!!
安堵感というか。一緒に頑張っていた人がいるという事実がありがたかったですね。
くじけそうな心ももう一度頑張るマインドになり、
一歩一歩進んでいこうと決心しなおしました。
そして、どうにか、、
18:23 江尻宿着
これまで最長の46.1㎞。
歩き慣れてきたのかなと思っていたけど、
甘かったですね。
そして、これを普通に歩いていた昔の人々には脱帽です。
さて、明日明後日はある作戦を練っているのですが、、
果たして作戦は成功するのでしょうか?
次回に乞うご期待!笑
4日目の歩み
沼津宿ー江尻宿(12宿目-18宿目)
・総距離 46.1㎞
・総時間 11時間17分
東海道五十三次を歩いたお話~参~
2018年5月東京・日本橋から京都・三条大橋まで11日間の歩き旅の全容を紹介します。
3日目 小田原ー沼津(37.3㎞)
さあ来ました東海道の難所
箱根越え!!
昨晩は戦いに備え、よく食べよく寝て準備満タンです。
いざゆかん!!
小田原宿ー箱根宿(16.6㎞)
7:45 小田原宿発
意気込んで迎えた朝だったのですが、
なんと前夜から雨が降っていたようで、
どんよりとした朝を迎えました。
御覧の通りの様子でした。
三枚橋を渡ると、ここからが本当の箱根越えになってきます。
越える=坂なんですよね。結局。
そして、坂。
朝イチから登りはハードでしたね。
箱根湯本の旅館を横目に坂を上る上る。
北条早雲の遺命によってつくられた早雲寺。
その他にも数多くの寺社が通りに沿って点在しています。
(上 正眼寺 下 天聖院)
さて、しばらく歩くと遂に出てきました。
旧街道石畳
雨ですべりそうな石畳。
けど江戸時代ではむしろ当然だったと思うと。
むしろ石畳あるだけいいのか??笑
アスファルトのありがたみを感じますよね笑
雨でぬかるんでいる中ですが進んでいきます。
森の中を進んでいく。
けど、こんな森の中、先人が切り開いてくれた道しるべがなければ
迷い野垂れ死するだけですよね。
ほんとにありがたや。
一旦、石畳を抜けると寄木細工で有名な畑宿です。
温泉旅行のとき、ゆっくり見て回りたいなと思っているのも束の間、
またここから石畳のみちが続きます。
箱根越え最大の難所と呼ばれる樫木坂ものぼっていく。
追込坂!!
どM精神に火が付くネーミングです。
うおおお!!
更に上っていきます。
30分後、、
森は抜けたのかな??
いや少し晴れてきただけかな??
そう思ったとき、
この権現坂の立て札を発見しました。
この立て札曰く、
小田原から箱根路をのぼる旅人が、いくつかの急所難所をあえいで
たどりつき、一息つくのがこの場所です。
目前に芦ノ湖を展望し箱根山に来たという旅の実感が体に伝わってくるところです。
うん。
やはりなんだか森抜けたなと思ったのは間違いじゃなかったようで。
昔の旅人とも心を共にした気分で、嬉しい気持ちになりました。
その権現坂から10分も歩けば、、
遂に、、
芦ノ湖!!
越えたんだな!!
やりましたああ!!
芦ノ湖から箱根宿(関所)までは
杉並木を通って15~20分。
ここまで来たら、平坦な杉並木なんて
かわいい!かわいいぞ!
とウキウキしながら歩みを進めると、
11:56 箱根宿着
着きました。
箱根関所!!
スポーツミーハーな筆者は
箱根駅伝ミュージアムに行くのを我慢して次なる宿を目指し歩くのでありました。
(絶対今度旅行できてやる!!泣)
箱根宿ー三島宿(14.8㎞)
道は上りがあれば下りもあります。
まあすべて下りであるほど甘い箱根ではなかったですが笑
最初におとずれるのは箱根峠です。
あれ、また上り坂かいな泣
石畳だし、雨の日には危険すぎる。
特につるつるだった記憶があります。
もし歩かれる際は気をつけてください。
そしてもうひとつ気をつけていただきたいことがあって
鋏石坂から箱根峠まで行く際に国道へ出るのですが、
国道1号線(箱根新道)は歩行者は通行できません。
ふたまたに分かれて行くので間違えて行かないようにしてください。
ちなみに正解の道もかなり車が急に来るので注意して歩行するようにしてくださいね。
筆者もかなり迷いました。写真も撮り忘れてしまったし。
そんなこんなで、
箱根峠まで来ました。
遂に静岡県に入りました!!
標高は864mです。
ちなみにちょうどここを通ったとき、
京都側からの東海道ウォーカーと遭遇しました。
すれ違い様でしたが、
頑張ってくださいね!!
とお互いに自然と発していました。
たった一言でしたが、すごく通じ合ったものを感じました。
元気をいただいたところでここからは下りなので下っていきます。
少し歩くと、、
是より京都まで百里
おお、、これはパワーワードだ笑
まだ400㎞も歩くなのか。
もう100㎞歩いたなのか。
少しずつだけど、しっかりと進んでいる実感。
今までは箱根がゴールというか
京都は遠すぎて(今でも十分遠いが)考えることができなかったけど
徐々に見えてはきているのかな??
なんだか箱根越えまで来たら、
とうとう後には戻れないような気が自分の中に芽生え始めましたね。
ふとそんなことを考えながらも歩みは止めません。
接待茶屋を過ぎ、
山中城址を通り過ぎ下っていくと、
なんだかにぎわっていると思ったら、
数年前にオープンした三島スカイウォークがありました。
日本最長の人道つり橋として知られていますよね。
GWの時期そりゃ混むわなと。
ただ段々と下っていくうちに
住居が増えてきました。
依然平地にはなりませんが、、、
もうそろそろかな??
と思いながら歩くこと1時間。
意外と遠いなチキショー泣
けど、文明の象徴(筆者が勝手に名付けた)である鉄道に出くわした!!
やっと街だあ!!
鉄道の踏切に感動する時が来るとは、、笑
そこから15分歩くと、
三島大社に着きます。
なんだか大社ってご利益ありそうだな
とか安易な筆者なので
お参りをしてきました。笑
15:59 三島宿着
三島宿ー沼津宿(5.9㎞)
なんだかやはり箱根越えをしたことで、
疲労困ぱい状態ですね。
久々に短い宿場移動でもあったので、
なんだか覚えていないような笑
気が抜けてましたね。。
ただ平地に戻ったからだいぶサクサク歩けました。
ホントに情報がなくて申し訳ないです。
17:36 沼津宿着
沼津といえば、
美味しい魚介類ですが、貧乏旅行では食べることはできません。
とほほ。。
あー、今日通ったところ全部贅沢旅行で来てやる!!と誓いました。
明日は富士市!
絶景富士山🗻を拝むことはできるのでしょうかね??
晴れてくれよ~!!
そう願いながら沼津で明日に備える筆者であった。
3日目の歩み
小田原宿ー沼津宿(9宿目-12宿目)
・総距離 37.3㎞
・総時間 9時間51分
東海道五十三次を歩いたお話~弐~
2018年5月東京・日本橋から京都・三条大橋まで11日間の歩き旅の全容を紹介します。
2日目 戸塚ー小田原(40.2㎞)
昨夜、足の裏をみてみるとマメが2つ3つできていました。。
そりゃマラソンの距離を歩けばそれくらいできるだろうものなんだな。
そのまま横になり目を閉じ、気づけばもう朝。。
ああ、今日も始まるのか笑
疲労感がとれぬまま2日目がこうしてスタートしていく。
戸塚宿ー藤沢宿(7.9㎞)
6:25 戸塚宿発
昨日とは違い、少し肌寒い朝でした。
昨晩本陣までいけなかったので、
朝一番に内田本陣と澤邊本陣に足を運びながら藤沢宿を目指していきます。
東海道を歩いているとこういった一里塚跡を多く目にすることがあるのですが、
では一里塚とはなんぞやといいますと、、
江戸から何里離れているかを示すもので、旅程の目印となるとともに、
榎や松などの木が植えられ、木陰で旅人が休憩をとれるように配慮されていたそうです。
ホスピタリティ高いですね。江戸ピーポーは。
しかし、現在では残ってないところも多かったです。笑
通称「遊行寺」と呼ばれ、開山後1325年に創建されました。
1631年に、幕府から時宗の総本山として認められました。
開祖の一遍上人の像もありました。
一遍は踊りながら念仏を唱える踊念仏で有名ですよね。
遊行寺をあとにすると
藤沢宿まではほとんど距離はありません。
8:01 藤沢宿着
藤沢宿ではふじさわ宿交流館という
東海道五十三次の藤沢宿について知ることのできる場所もあります。
交流館で小休憩をとったら、
次なる宿場平塚にむかうのでした。
藤沢宿ー平塚宿(13.7㎞)
平塚までの道のりは、まあホントに長いです。
ここにきて初めて10㎞こえる移動でした。
そして、道中はあまり立ち寄る東海道スポットはなかったように思います。
サザンオールスターズの聖地茅ケ崎横目にすぎ、ひたすら歩く。
太平洋が近いことから、時より浜風がびゅーっと吹く。
馬入橋。
昔は渡船場があり、馬入の渡しと呼ばれていたそう。
ちなみに馬入という地名は
源頼朝が橋の落成式に出席後に落馬したこと(馬に振り落とされ入水したとも)
が由来になっているだとか。
古来から交通の要所だったことがわかりますね。
それにしても橋は一段と浜風が吹き
しんどいなあと思っていると、、
橋をこえるとなんと
昨日の東海道ウォーカーが!!
ホントにくじけそうなときに再会し、
歩き話をしながら、どうにか平塚まで歩を進めることができた筆者であった。
11:27 平塚宿着
平塚宿に着き、東海道ウォーカーと別れて
またひとりで歩きだす。
東海道ウォーカーも頑張ってるんだと思うと、
自然とやる気が出てきますね。
平塚宿ー大磯宿(2.9㎞)
次に向かうのは大磯宿。
大磯あたりの道中は自分の中でもお気に入りの道でした。
ここからへんから松並木等が多く
歩いていてとても心地の良い道中でした。
こちらは化粧坂周辺の松並木です。
大きな松の木が向かいまで伸びている不思議な松でした。
その並木道を抜け、少し歩くと、
大河ドラマ八重の桜で取り上げられましたよね。
この先、湘南発祥の地碑と鴫立庵をこえて
12:13 大磯宿着
平塚宿から近いこともあり、
今日は早く眠りたい一心で小田原に向かいます。
大磯宿ー小田原宿(15.7㎞)
とはいえここからの道のりもまあ長いことあるんです。
しかし大磯あたりってすごく歴史上の人物の旧邸宅があります。
政治家や文化人の旧邸宅が数多く残る街なのです。
私が少し寄り道して、
訪れたのは旧吉田茂邸でした。
すごいThe日本庭園(語彙力笑)
綺麗に整備された庭と住居でした。
旧吉田茂邸に圧倒された私は再び歩みを進めた。
ただここからは長ーい1号線をひたすらに歩き進めるのである。
隣にJRが通っているので、
あてに歩いていたが、、駅はいずこ、、、
ふたたび浜風をうけながら進んでいく。
小田原ってかまぼこ有名だよなあ
食べたいなと思いいながら
どうにか国府津までこえるともう少しで酒匂川。
ここも江戸時代橋がなかったため酒匂川の渡しがあったそうです。
ラストスパートです。
そして、2日目も遂に、、
16:20 小田原宿着
今日も一日お疲れさまでした。
小田原城のベンチで一休み。
あー今日は湯船につかって、疲れを癒したい。
そして明日の箱根越えを達成するぞ!!
2日目の歩み
戸塚宿ー小田原宿(5宿目-9宿目)
・総距離 40.2㎞
・総時間 9時間55分
東海道五十三次を歩いたお話~壱~
2018年5月東京・日本橋から京都・三条大橋まで11日間の歩き旅の全容を紹介します。
いざ出立!!!
5月になり、少しずつ暖かくなってきました。
そして本日晴天なり!!
朝イチから電車で日本橋を目指す。
ゴールデンウィークとはいえ電車は混み、竹笠がかさばり迷惑をかけてしまった。
申し訳ない。。
そんなこんなで日本橋に到着!
さあ時刻は朝の8時
いってきまーす!
期待と不安を感じながらも
見送りに来た友人と別れ、遂に旅路についたのであった。
1日目 日本橋ー戸塚(41.2㎞)
日本橋ー品川宿(7.9㎞)
日本橋を出たが、品川まではご存知の通りオフィス街。
すれ違う人たちはスーツに身を包んだビジネスマン。
江戸の風情のかけらもない中、
僕は時代に逆行しながら歩を進めます。
京橋、銀座、新橋と順に通って品川を目指します。
途中、江戸城無血開城のために西郷隆盛と勝海舟が会見をおこなった地などありましたが
基本的にTHE東京の街を横目に見つつ、前進していきます。
品川駅を少し超えたところに品川宿はあります。
(厳密にいうのであれば北品川駅周辺を指します。)
10:07 品川宿着
品川までのオフィス街とは打って変わって
さすが東海道の玄関口!
また品川宿周辺は江戸時代と同じ道幅を保っているらしく
東海道ロマンを感じざる得ない宿場だと感じました。
品川宿ー川崎宿(9.8㎞)
そして品川宿を抜けると、
今度は景色がオフィス街から工業地帯感が強まります。
車道はトラックの嵐で雰囲気が一変。
少し殺風景な道をただひたすらに歩を進め、
遂に多摩川にたどり着いて
神奈川県に突入!(ちなみに川崎は相模の国ではないらしい。)
橋を渡ってると、
とあるおじいちゃんが川崎宿のことを色々教えてくれました。
竹笠に興味をもって話しかけてきてくれたみたいで
頑張って!応援してる!
と励まされました。
こんな変な男にありがたい一言。。
その一言でまた頑張ろうと思えました。
12:23 川崎宿着
橋を渡り終えると川崎宿はすぐでした。
かなり駅沿いの道でした。
しかし時代とは移りゆくものですね。
宿場町だったけど、今ではあまり見る影もない宿場町も多々あります。
川崎宿も例にもれずといった感じでした。
※安心してください!もちろんウリにしている宿場町も多くあります!
しかしそんな宿場町でも東海道を味わえるポイントがあります!!
それは、、、本陣です!!!
本陣???と思わえる方もいらっしゃると思うので、
少し説明いたします。
本陣とは、その宿場の最も権威のある宿泊施設であったところです。
基本的には、幕府から指定された大名・公家・役人が宿泊や休憩に用いました。
そして現在では、本陣跡には立て札及び石碑が建てられています。
いわば各宿場町の象徴といったところです。
筆者は、旅の記録として本陣跡を写真に収め、東海道を味わっていました。
是非東海道を歩くなら、本陣探しをしてみてはいかがでしょう??
※ちなみに宿場町によって複数の本陣がある宿もありますので、見逃し本陣しないように気を付けましょう笑 筆者はかなり見逃してしまいました泣
川崎宿ー神奈川宿(9.8㎞)
川崎を越え、鶴見へと歩を進めます。
鶴見といえば、、、生麦事件ですよね!
薩摩藩の行列に割り込んだイギリス人が藩士に殺傷された事件です。
薩英戦争の発端になったともいわれていますね。
やはり大名行列自体が武士の体面を大事にするものだったので許せなかったのでしょうね。
神奈川宿と聞いて、神奈川県のどこなんだろうと思い調べてみると、
ちなみに現在では、神奈川県横浜市神奈川区という地名になっています。
なんだか違和感ありますよね。。
15:32 神奈川宿着
ちなみに神奈川宿は2つの本陣がありました。
滝の橋をはさみ、東の神奈川町、西の青木町の2か所に本陣が存在したそうです。
神奈川宿ー保土ヶ谷宿(4.9㎞)
私自身東海道を歩く前は東海道=国道1号というイメージだったのですが、
実は日本橋から神奈川宿までの区間は主に国道15号(第一京浜)が旧東海道だったのです。
そして神奈川宿を通過すると主に国道1号へとつながっていくのです。
ちなみに保土ヶ谷宿までは環状1号が主です。
本当の旧東海道を歩きたい方は側道に入り組むことがかなり多いのでマップ付きの書籍だったり、ネットでも掲載している方がいらっしゃるので参考にしてもらうといいと思います。
国道15号をあとにして、青木橋を渡ると
そこからは急な上り坂でした。
その途中には田中家という料亭があります。
そこはかの有名な坂本龍馬の妻であるおりょうが働いていた店だそうです。
その後、東海道と八王子道の追分(分岐)、旧帷子橋後を通過していくと
保土ヶ谷宿の本陣までは20分ほどで着きます。
16:53 保土ヶ谷宿着
保土ヶ谷宿―戸塚宿(8.8㎞)
まだ初日ですが疲労度がやばいです。
戸塚まで8.8kmかあ~、、、
5時も過ぎ、少しずつあたりも暗くなってきました。
1人で歩くのはきついときが本当にしんどいんですよね。。
あ、権太坂だ。
箱根駅伝ファンにはお馴染みの難所ですね。
ここにきての坂かいな。。。(事前に知っていたが笑)
ちなみに駅伝のコースと旧東海道は異なります。
そんなときふと前を見ると、、、
大きなバックパックを担いでいる人がいる??
えっ?まさか??
あまりにも気になり、恐る恐る話しかけてみたら、、、
なんと東海道ウォーカーでした!!!
精神的にきつい状況での同志との遭遇は本当に救われました!!!
元気を取り戻した筆者は、その方と歩きながら色々な話をしました。
18:55 戸塚宿着
そして、遂につきましたああ!!
いやあ、初日長かったあ!!
同志さんにはお礼を言い、明日からも頑張りましょうと。
本当に救われました。もしこのとき会ってなかったらどこかで断念していたのかもしれません。
一期一会だなあと思いながら、
明日に備えて休む筆者であった。
1日目の歩み
日本橋ー戸塚宿(始点-5宿目)
・総距離 41.2㎞
・総時間 10時間55分
東海道五十三次を歩いたお話~零~
2018年5月東京・日本橋から京都・三条大橋まで11日間の歩き旅の全容を紹介します。
よーし、これはやるしかない!!
そう思ったのは昨年の4月下旬。
学生である僕はゴールデンウィークに予定を立てそびれていました。
どこかに行きたい。
けど、繁忙期の旅行は学生には負担額がでかすぎる。
くうう。。
なんか高くつかなくて、旅して楽しそうなトコロないかな~
そんな時、、、
たまたま某テレビで「東海道を歩く」特集があり、
私はひらめいてしまったのです。
歩けばいいんだ!!!!笑
そんな短絡的な考えから僕は歩くことを決意したのでした。。。
東海道を歩かれた先輩ブログを見ると旅への経緯が具体的に書いてありますが
それに比べて僕はひょんなことから始めたわけです笑
東海道五十三次とは
東海道五十三次と言われるように
諸説あるみたいですが、
総距離は487.8km(124里8丁)と言われていて、
その距離には東海道唯一の海路である
七里の渡し(宮宿~桑名宿)の距離も含まれているようです。
この旅で大切にしたこと
僕自身がこの旅で大切にしたことは
移動手段としての東海道五十三次
でした。
江戸時代では飛行機、鉄道、車もなく
基本的には徒歩での移動でありました。
なので楽しむ目的ではなく、
江戸時代の人からすると単なる移動手段。。
(江戸時代は一般的には13~15日で歩いたとされています。)
そこで僕は東海道五十三次を本気で味わうなら、
同じような日程で歩を進めたいと考えるようになりました。笑
ではどういう日程で歩いたか
何か江戸時代の人のモデルプランがあるといいなと思い調べてみると、、、
彼が描いた「参宮上京道中双六」で泊まったと記されているトコロに泊まりたいと考えました。
ちなみに彼が泊まった宿場は11か所あるみたいで
- 戸塚宿(5宿場目 神奈川)
- 小田原宿(9宿場目 神奈川)
- 沼津宿(12宿場目 静岡)
- 江尻宿(18宿場目 静岡)
- 金谷宿(24宿場目 静岡)
- 浜松宿(29宿場目 静岡)
- 赤坂宿(36宿場目 愛知)
- 宮宿(41宿場目 愛知)
- 石薬師宿(44宿場目 三重)
- 関宿(47宿場目 三重)
- 草津宿(52宿場目 滋賀)
に泊まったと記されています。
ミーハーである僕はこれにしようと!!!
そんなこんなで11泊12日で歩くことが決まってしまいました。笑
準備へ
東海道五十三次をすると決意して、たったの一週間で出立しなくてはならない。
とはいえ何が必要かもわからず
シャツや下着といった必要最低限の用意で行くことにしました。(ずっと歩くためできるだけ軽くしていったほうがいいです。)
またとりあえずムードは必要だなと思い竹笠だけを買い
心を整えるのみ!!
まあ日本だから困ったら買えばいいかと
こんな感じで僕の東海道五十三次が始まっていくのでありました。
↓↓ちなみに買った竹笠です↓↓